Atelier Gautier(アトリエ・ゴティエ)というシャツ
ボンジュー ムッシュー サバ⁉︎
日本では、Alain Gautier(アラン ゴティエ)の名前がお聞き覚えあるかもしれません。
弊社が正式に日本の窓口になったのは2017年1月ですので、現在で約2年が経過するようになりました。その以前から存在は知っていましたし、交流はありました。
創業者Albert Gautier(アルベール・ゴティエ)は、ワインの産地で有名なブルゴーニュ生まれ。(今の季節は、ボジョレーヌーボー)パリからTGVで1時間強、車で40分くらいの距離です。 1920年後半からパリに移りHermės(エルメス)のシャツ生産の責任者を経験したのち、この故郷に戻り、第二次世界大戦後の1947年にシャツ製造のアトリエを興こしました。
最初は、小さなファミリービジネスでしたが、出身母体のノウハウを生かし、人材育成、積極的な設備投資も行いOEMでの取引先を徐々に増やしてきました。
Hermės(エルメス)、LANVIN(ランバン)や BALMAIN(バルマン)のオートクチュールからプレタポルテまでのコレクションを手掛けるようにまでになり、それは現在も続いています。
OEM というと聞こえは良いようですが要は下請け仕事です。主導権は、発注元ブランド側がもっています。注文が多いときもあれば少ないときもある。工場は人を雇用しているため、仕事が少ないからと休んでもらうわけにはいきませんし、逆に多いから人を急に雇うことなどできません。しかも超一流のブランドの商品を扱うため、品質を保つための人材確保も大変です。これが工場経営の厳しいところです。
Alain Gautier(アラン ゴティエ)という自社ブランドの設立とMichel de Saint-Jean(ミシェル・サン-ジャン)との出会い
創業者の息子で2代目の経営者になったアラン。彼が1980年工場経営の安定を目指し、彼の名前で自社ブランドを設立しました。そこに取引先として出入りしていた生地商が現在3代目の経営者であるミシェルでした。
ミシェル・サン-ジャンは、パリ生まれのパリ育ち、今も実家はパリにあります。彼は、生地商としてのキャリアは長く、ヨーロッパ中の産地と売り先に精通していました。シャツは生地、テキスタイルが重要な部分を占めると考えます。その彼の能力は、アランゴティエというブランドには大きな力となり。それが縁で事業を受け継ぎました。
一流ブランドというもの
私は、私が扱わせていただいている商品に関して、日本は、ハード面 例えば染色堅牢度などの物性、耐性などのデータで表すことのできる項目については厳しいのですが、「美しさ」みたいなもソフトの面、判断基準が難しい主観的な面に関しては、ハード面より基準が緩いような気がします。
フランスで知り合ったシルクの機屋、革屋さんなどの原材料製造、革製品(鞄、革小物、靴、洋服)の製品を作る工場、このAtlier Gautier含めて、ブランド側から要求させる基準がハード面、ソフト面 両面とも、とんでもなく厳しい。(下請けいじめじゃないかと思うくらいです)
物つくり側から視点なら、この要求を満たすためになら一流と呼ばれるブランドが値段が高いのは仕方ないか...と妙に納得してしまうこともあります。
また共通するのは、いくら親しくなっても工場内は撮影絶対NG、偶然にも工程でそれらのブランドを作っているのを見るのは、手を止めることができないので仕方がないが サンプル品などは、絶対みせてはくれません。徹底しています。
一流と呼ばれるものに携わるということは、自らも常に進化しなければいけない。一時的に携わっただけでは、意味はあったのかもしれませんが、それだけでは、価値はありません。継続できなければ二流以下でしかないと思います。
このおやじ達と会う度に私は、痛感するのです。
メルスィー オバ!
créme la de crème
TOM